キャブとかインジェクションとか…..その2….Full Tune CVの登場

私が19くらいの頃の話。
 
あの頃、こんな黄色い看板が屋根にかかっていた。台風で飛ばされて危ないって事で今は上には載せてませんが。
 
 
 

当時Jさんと言う、MMI卒業のチーフメカが45に在籍していた。
 
 
現在在籍しているメンバーで。Jさん知っているのは私くらい。
 
 
Jさんは確か私よりも15個くらい上の年周りだった(はず)
 
 
 
 
 
 

 

その頃の私は45ディグリーには在籍していたけども、アルバイトとしての存在でメカとして5流いくかいかないか?くらいの存在感と認識している。
 
スパナの振り回しも全然イケてなかったへなちょこメカニック見習い。
 
メカニックなんて、そもそも甘くない職業。
 
 
 
 
 
 
 
Jさんは草レースに積極的に参加していた。
 
ハーレーを速くすることに本気だった。
 
当時のTIサーキットや、今では走れない美祢サーキットを翔っていた。
 
 
 
 
 

私も走ったことありで。先のSRをなんちゃってレーサー仕様にして翔っていた。ヨシムラのエギゾーストは17の頃知り合った年上の友人から借りた物。こけたら、どーするんねんって今は思うけど。苦笑
 
 
美祢サーキットはオーバーテイクも難しい、ほんと面白い呼吸感。
 
TIや美祢って前日から下道を走って行っていた。
 
レースの日って例に漏れず前日からレース始まっており、費用抑え国道走って前いりでゲート前に到着し何度も軽い車中泊やりましたね。 
 
 
レースって、とかく朝が早い。
 
積極的に参加していた草レースは、広島のレイステックさん(レーステックじゃないですよ)が主催するピグスープという走行会だったように記憶している。
 

 
元々岩国のベースにいた人だったはずで、その岩国のベース仲間たちも引き連れ草レースに出向いていた。
 
海兵隊にいた経歴もあったようで、腕の太さは私の太ももと同サイズ。
 
ショベル のキックスタートなら腕でいけるよ♪って感じの力強さ。
 
アルコールというFuelが入ると、我々がキックスタートでもアームスタートやってたような覚えもある…懐かしい思い出。
 
私には悪い思い出はなく、仕事終わりによく瓶のバドアイス飲んでた心優しい日本在住のアメリカ人の印象しか残ってない。
 
 
 

Jさんが自身で翔っていたマシンは1989年式の4速のエボスポーツスターの、レーサー仕様。
 
4速スポーツスターは構造上ミッションが弱く、レースには不向きとされていた

彼は不向と言われてるそのマシンを用い、1200ccの排気量であるもシャシダイで実測100馬力近い出力を生み出すエンジンに仕立てていた。
 
XR1200でも、いいとこ90馬力….チョメチョメですから、2000年当時からしても、「大健闘!」って具合。
 
 
 
車体も国産スポーツバイクの部品をうまく流用していた部品構成でNessのビキニカウルを纏いレーサー仕様にし走っていた
 
100kgを超える彼の車格….じゃない、体格がスポーツスターをレーシングスーツを纏い走る姿は「紅の豚」と揶揄されていた。
 
もちろんJさんはムスッとしてましたけどね。大笑
 
 
 
 
その頃って、S&Sのキャブが一番って頃だった。
 
草レースとはいえど、タイムは競いたく、打開策を思案していて
 
 

Jさんが「CVキャブをチューニングしたらいいんじゃね?」的な事を話し出したんですね。
 
今じゃ信じがたい話ですが、当時CVキャブって先ずは外す物、の扱い。S&Sキャブが絶対でした。
 
CVキャブは普通に使って、いい具合にはならなかった物ですから、仕方がない。
 
 
じゃ、とりあえずやってみよう」ってシャシダイで念入りにデータとってチューニングしたCVキャブつけ、サーキット走ってみたら、直ぐにタイムが数秒以上も改善されたんです
 
 
サーキットで数秒も改善って、もの凄い事ですよ
 
 
なぜ速くなったのかって、コーナーリング中にスロットルに意識集中しなくて済んだから。
 
 
ラフに扱っても応答してくれるCVキャブの優位性が際立った。
 
 
CVキャブにある程度要件満たせたらスロットル全開にしておけばあとはキャブが仕事をしてくれるんですね。
 
 
 
 
それからCVキャブって有能って事で、Full-Tune CVの原型が生まれました。
 
 
 
 
 
 
ただ、Jさんは、ハーレーを速くすることにのめり込んでた事を一般のユーザーさんに提案してしまったようで。
 
いつもよくしてもらってるお客様が突然に険悪なモードになってしまったと知り。
 
19歳の私も事態を収集しようと出向いたんですけどね。広島市内の袋町に出向いたときのことは覚えている。
 
 
「お前じゃ話にならない」とまず突き返され。
 
「(当時の)45社長が当初提案してくれたEV3のカム交換の時が一番よかった」というコメント。
 
Jさんが提案していたのは、もっともっとハイエンドな提案を続けて提案していたようだった。
 
袋町に飲みに出て、色々提案して、それを仕事にしていたようだった
 
 
速くするのはレースであって、公道での仕様は違う。
 
 
少なくとも広島のお客様のニーズと異なった提案をしていた…と察する部分で。
  
 
Jさんはその後、間も無く去ることになりました。
 
 
なぜ去ってしまったのか
 
 
当時の私は知る由もない。
 
 
なぜなら、あれからJさんと会ってないから。
 
 
 
https://www.45degree.net/order.htm
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posted by M.Yasuura
 
 
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