今さら、って言い方が悪いですが
インジェクションとか、キャブのチューニング。
キャブも、インジェクションも、平素から多く御依頼頂き感謝しております。
そんな、チューニングの事ですが。
結論から言うと
チューニングって、オモロイことへの提唱であって
「作り込むもん」やと思う。
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私がキャブを弄り出したのは、覚えてる頃では16歳の頃から。これこそ、チューニングの始まり。
この45ディグリーが始まった頃から…14の頃からかな。中学2年でした。
1996年の5月1日
お前ちょっと来いと言って上深川に来てみたら、突然ハーレー屋が出来てました。
入り口入ると、黄色いペンズオイルがずらっと並んで、クリアキンのカタログやら、ずらっとありました。
実は、その前に、じいちゃんの家にやたらハーレーが増えていた事に疑問を持ってました
1988年のヘリテイジや、1988年の黄色いスプリンガーや1993年のFXSTCや1992年のFXDCや…黒いスポーツスター やら
やたら詳しい中学生です。笑
まさかハーレー屋を始めるとは、中学生の自分は驚いてました。
なぜかというと、親父はラーメン屋がしたいと申しておったからです。
自宅でめちゃ旨いラーメンを食べたり、チャーシュー食べたり、そんな日々で。
え? ハーレー??
一方の私はというと
それまでの親父の姿に影響され。
小学校6年の文集に はっきりこう記載されてますが
「ハーレー屋をする」と書いてます。1994年。実際にはもっと前からハーレー触ってた。初めはタイヤを磨けってね。なんでって、「タイヤになんか刺さってたらいけないだろ」と。ケミカルは好きなだけ使え。磨きからハーレーを教えてもらった、そんな環境。
親父がラーメン屋をしていても、私はハーレーの道に進んでたんですが
まあ、なんというか、流れがいい感じで。
その頃から、親父の姿をずーっとみてまして。
物心ついた頃からハーレーが身近にあったし、ハーレーのエンジンが開いてる姿もよく見てたしキャブを弄ってる姿も毎日のように見てましたし 出先でジェットを変える姿も、よく見てた。
その姿が、カッコ良くてね。
何がカッコ良いんか今でも判らんのですが….
感化されたモンがあったんでしょう
やってみたいな、と。
16になって。(待ちに待った16歳)
3ない運動とか、つまんない決まり事ありましたね
3ない運動致しませんとしたもんだから
高校入学早々に、親子揃って校長室呼ばれましたよ。
それは致しませんと突き通したんですけどね。
つまり公認です。まあ、「運動」ですから。
誕生日を迎えた三日後に、高陽自動車学校の卒検受かり
オッシャーの勢いそのまま
すぐに免許センターにGo
行きは送って貰ったけど、帰りは五日市から上深川までチャリを全力でこいで戻り。
すぐに単車乗った記憶あります。初めの行き先は吉田のみよしや書店の三好さんに会いに。本を買って帰った記憶がある。
もちろん、16なんで、大型の免許なんて取れるわけもなく、400ccで。
免許取る前に単車は買ってて。スポーツスター のアイアン Kフレームを買って頂いたお客様から下取りで入ってたSR400。
平成5年式の緑色の限定カラー。
「お前、これ乗れ 10万でやるよ」
っとうちの親父。
10万って、簡単に言うけど16歳当時は「大金」….
今考えれば良心的プライスだったなと思う。
当時は「お年玉何回分やねんって。」
ヌルい。汗
即答はしなかったけど、それにした。働いて返した。
SR400に決めた理由も覚えている
あの当時、スティードやTW200が沢山走っていた時代。
マフラーといえばスーパートラップ。
スティードは決まってストレートパイプにスラッシュカット。
ね、懐かしいでしょう。
スティードやTWは、自分には違う気がした。
選んだ理由は、国産メーカーで400ccで最もピストン径が大きい400cc
それがSR400だった。
Suzukiのテンプターとかの選択肢もあったんや!は後に気づいたこと。
フェザーヘッド風のフレームの車両。当時からフレームをよく見てた。
90年代後半にデイトナから販売されていたBSA SRとか、フレームええし、エンジン直立やし、カッコええなあと。当時80万ほどで販売されてたので、高嶺の花すぎて買えるわけもない。
そんなこんなな時代背景をご説明しましたが
私が、その単車(SR400)を手に入れて、何がしたかったって、キャブを弄りたかった。
キャブが弄りたくて、ハーレー っぽく走りたくて、
「単車欲しかった」
と言うか、ハーレー欲しかった。
もう、想いが強過ぎて、
SR400に、S&SのSuper-Eキャブをオリャっとつけてしまったほど。普通には装着不可のキャブレターですが、初めから、サンダージェット仕様のS&S Eキャブ
「お前、そんなデカいキャブを400なんかにつけてエンジンかからんで?」
と言われながらも、理性より情熱が勝り
なんとか調整しきってモノにしました。
デコンプ無しでキック一発。
親父が当時乗ってた出立ての1999年式FXDXツインカムTC88改TC95と一緒にツーリング
一丁前に、SR400が親父の改造ハーレーについていくんです。
ハーレーって一緒に走ってみたら判るんですが、トルク豊かなせいで、瞬発力と前進力の塊なんです。ついていくのって、結構大変。ハーレー乗ってる人は全然気付かない大変さ。
ワイセコの高圧縮ピストンに、ホワイトブラザースのステージ2カムを組んで
レブリミットまで突っ込んでましたが…..感心してましたね。俺にはこれしかないし、このマシンを愛してた。
今でも覚えてる、IMJ250で、MJ66 ABJ120 TJ120というジェッティング。
ファンネル仕様にしてましたが、その頃それが車検通らないものとは知らず
その後、車検に通らないとか知らんまま、エンジンに悪いんで、と言う理由でS&Sキャブに直接K&Nフィルターが直接装着できるアダプタをオリャっと作って、つけてましたね。
今でも、その痕跡は持ってます。写真入れますね。
キャブに対する想いって、その頃から特別な物があった
セッティング・セッティングと言っていて「チューニング」という言葉は知らなかったけど、キャブチューニングの始まりは、「オヤジの姿」であって、なぜか解らんけどかっこいいから、やってみたかった。そして、やってみて、追求出来たという経験を16ん頃に味わってました。
やっぱりね、ええ具合にしたいし、完璧を目指したい。
続きます
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posted by M.Yasuura
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