キャブとかインジェクションとか…..その3….インジェクション車 2007年FLTRを買う。

サーキットを走り認識を改めたハーレー純正CVキャブレター。
 
 
そこで原型が生まれたが、今現在の仕様とは全く異なることをまずお伝えしておく。
 
 
2002年頃からYahooオークションが盛んになり出し、弊社も参加していた。
 
 
このキャブを発信する当初の場所って、実はヤフオクだった。 
 
なぜかというと、弊社ホームページがなかったから。
 
2002年ごろって、MSNのチャットルームもまだあったし、ブログが普及するよりも、まだ前の頃。スキルある人が、各々でホームページ作って、情報配信していた、インターネット時代の黎明期と言っていいかも。
 
 
 
 
当時はピンボケ写真のまま出品とかザラで、いかにピントのあった写真載せるかを思案していた。
 
 
カメラが好きとか、解らんホビーじゃ….と嫌々に使ってたけど、今じゃその逆。笑
 
キャブを弄るんも、カメラをマニュアルモードで弄るんも、感覚がよく似ている。
 
 
2003年ごろにCanonからEos Kiss Digitalが販売され、「おっ」と思いすぐに買いましたね。
 
 
すっきり、垢抜けた写真が容易にアウトプットできる素晴らしい機材だった。初心者向けのデジタル一眼レフだったが、今思ってもこれから入門して正解だった。
 
 
「写真が綺麗なだけ」という理由で、商品を買って頂けるなんて、今じゃ信じられない頃でしょうね。iPhoneで撮ってもそれなりにいい写真撮れますからね。
 
 
中古パーツが山のようにあった事もあり不用品の売却も行い、その傍ら、Full-Tune CVをヤフオクで販売していた。
 
 
日常作業は同じくこなし、ヤフオクへの出品は深夜に向けてのルーティーン。写真撮って文面考えアウトプット。日に少なくとも5件と決めてかかってた。それも、出したら出しただけリアクションがあるから、楽しかった。
 
 
その中で「ホームページ要るな」ということで、レンタルサーバーと契約し、HTMLから勉強し今のホームページの原型を作った。
 
どんなの作ったか覚えてるけど、頑張った割りに…って感じだった。頑張ったからと言って報われる訳ではない。
 
今のホームページは弊社従業員が作ってくれてますが、私が当時ドリームウィーバーを用いて作ったページは今と比べると、もう全然お呼びじゃないくらいの「アットホーム感」満載。
 
でも、あるだけで全然違った、そんな頃。

 
 
 
 

 


その後、CVキャブレターを塗装したらオモロイんじゃないかな….と考え、2004年頃から塗装したキャブレターを始めた。

この黒いモノリスブラックボディに、リンクルレッドのトップカバーの仕様は、ほんとよく作ったし、オーダー頂いた。
 
 

トップカバーの塗装はサービス品にしていたので、これもよく出てました。
 
ツーリング先。キャブの頭が色変わってるのを見つけて、オーナーさん同士で出会いがあったとか、よく聞きました。選択したものが同一だと会話も弾みますよね。
 
 
キャブ車全盛期も、2006年までだった。
 
 
2007年からは全車インジェクション。
 
 
じゃ、どうしよう。考えたのは、その頃からFLTRが欲しい車両だった。
 
 
元々ハーレーもロー&ロングなチョッパーから入門した自分が、まさかツアラーが欲しくなるとは。
 
 
ある時から右斜め後方45度からの眺めに「いいかも」なんてふと思い、ロードグライドが欲しくなっていた。
 
 
欲しくなったロードグライドでインジェクションの車両を自分で買って、自分で自分を、セルフ追い込みしたらいいかなと。自らの癖が分かっていたからやった事。
 
 
元々キャブ出身で、インジェクション車両に良き思いはなかったのだが、それが自らの車両ともなるとやらざるを得ない。
 
 

んで、買ったのはオレンジ色のFLTR。96キュービックに排気量を拡大した初年度。
 
 
https://www.45degree.net/blog/?p=80
こうやってキャブ化したりも。
 
(排気ガス規制対象車において、キャブ化すると燃料供給装置を変えた事でのガスレポ必須になる事から、今では受け付けてはおりません)
 
 
サブコンを使って、空燃比計つけ、ダイノで測定
 
 
その結果を求め。日がくれてから21時くらいからかな
 
 
「キララ多伎」まで走りに行ったり、よくやってました。
 
ほんま、いつ寝てるんねんってリズムだったなあ。
 
誰かが教えてくれる訳じゃなかったし、親父なんてキャブレター絶対でインジェクション否定派やったんで、私が毎日やってた売り上げに繋がらない色々は日々の研究と黙認しているけど、内心非難轟々やったと思う。
 
協力してくれる人も共感してくれる人もおらんし、何もかもが ずーっと手探り状態で、一歩一歩進んでいった。
 
 
 


2009年2月 ラクロスにあるS&Sに講習行ったときのこと
 
JP 2009年 1月31日
関空発、デトロイト・メトロポリタン着NW70便
 
13時20分発に乗り込む。

同、31日 11時25分、メトロポリタン空港着。
 
日本との時差14時間(ミルウォーキーは15時間)
 
自分の体内時計はすでに2月1日のAM1時….
 
英語もろくに話せないまま、思い立っておりゃっとアメリカ行ったもんだから、入国審査んときに焦った。
 
2001年の911以降だからセキュリティも厳しくなってまして。
 
よく映画で見るような黒人の検査官がアクリル板越しに、疑いの眼差しで私を見てる訳です
 
「どこに泊まるんだ」って問いに
 
え….? 宿泊先だよな。 あのメモって…
 
目線の先にあるバゲッジでくるくる回ってるバッグの中にあった。
 
どうしよう… その動揺
 
じっと見つめる検査官(しかも言葉通じない)
 
取りに行くって、ここを通過せねば….
 
 
おっ…..ここは、アメリカにきた目的を話そうと。
 
 
出来て間もないハーレーミュージアムとか行くプランだったんで、それを片言未満で伝えました。
 
 
「僕はハーレーダビッドソンのカスタムショップで働いてます」
 
 
「んんふぅ?」
 
 
「ハーレーミュージアムに行きたくてアメリカに来ました」
 
 
「ん、フロムジャパン??」
 
 
「Yes。」

 
 
そしてら、「うおおおお、まじか、お前、そのために地球の裏側から来てくれたんかい」
 
 
って喋ったかは知らんのですが、僅かに聞き取れた単語とリアクションから察すると、これに近い事喋ってたと思う。
 
 
もうね、もーん凄い笑顔で通してくれました。いい旅を〜って言ってました。見事Pass。ふー、初めの試練は通過。

危うく入国審査で落とされそうになりながら、最寄りのBest Western hotelへ向かう。
 
 

この時徒歩で向かったが、シャトルバスがあったので乗れば良かった。でかい。アメリカはでかい。。。
 
空港に近いと言え、楽に2キロはある。
 
 
 

Best Westernの隣にレストランがあった。日本との感覚とは大違い。
 
ナイフとフォークなのだが、骨つきのチキンを食べるのに正直困った。
 
大雑把なアメリカだが妙なところは器用さを求める。
 
このレストランでは$22でチップを$3置いていった。
 
店員の対応など、とてもフレンドリーだ。
 
店に入るなり、「調子はどう?」とか。テーブルではサービスが良い。
 
母国では無い感覚。
 
日本はもしかすると慇懃無礼なのかもしれない。
 
現地時間23時 就寝。
 
 
 

 
US 2009年 2月1日
朝6時に目覚める。時差ボケは無さそうだ。
 
ホテル隣のレストランに行くも、夜と微妙に雰囲気が違う。
 
店員に「一人です」と言うも、訳のわからない返答が。
 
その隣では他の客がコークやらを入れている。
 
どうアプローチして良いか分からず、結局朝は自販機のスナックとコーク。
 
英語が喋れない現実は厳しい….。落ち込む。
 
 
ミルウォーキーの空港にあるハーツでレンタカーに乗り。
 
その後、ミルウォーキーからS&Sのあるラクロスへ向かう中で。
 
Smoke FreeとはタバコOK!ではなく
ニュアンス的には「タバコから自由になる」
「タバコから解放」だから、禁煙の意味なんだね。
 
その他、フリーペイパーやら「Free」の使い方は日本の場合、すぐに「無料」と言う意味に捉えがち。これは和製英語。
 
本来は「自由」や「解放」など。だからFree Wayなのね。
 
90 Degree Engineeringは、Degreeが動詞になっているとDegreeは「第….等級の」となる。つまり90人の有資格者がいるエンジニアリングという意味。 気をつけたい。 
 
 
 
 
 

……早朝ミルウォーキー から80マイルで巡航して到着したラクロスというところ。
 
 
昼間でもマイナスのこの土地で、メモ帳買いに行こうと向かうと道路脇で半袖短パンで日光浴してるおっさんとか見たり、なにこれ珍百景を見た気分もここ。今、2月ですよ。0度以下じゃし、半袖短パンって・・・大汗
 
 
 
昼飯時。暖房がやたら効いて真冬なんにプールで人が泳いでる訳わからん宿やったけど、とりあえず聞いてみたんです。
 
「腹減ったけぇ、なんか食べ物屋ないんかいの」と。
 
すると、「2ブロック先にサブウェイがある」と申しておった。
 
なんでか車で行かずに徒歩でいくんですが、チェックインだけ済ませた宿からのしのしと2ブロック先に行こうとして1ブロックで引き返しました。
 
 
ずーーーっと町外れな街並みで。とても、サブウェイ?なんてありそうな雰囲気じゃないわ

これで、もしサブウェイ無かったときの悲惨さとマイナス20度以下の肺が凍りそうな危機感に「これヤバイ」と
 
1ブロックで引き返し、宿でホットコーヒー飲んで肺を解凍したです。
 

サブウェイは、ちゃんとありました。たった400メーターほどでも、マイナス20度以下では無防備に歩いていくもんじゃない。
 
 
 

その後S&Sに行く約束してたんで、 そこで昼食を取ってもらった。
 
 

そこで見た、キメラのようなエンジンも、ショベルからエボにエボリューションするに当たって、某企業に多大なご協力頂いたプロセスを知ると納得な内容。それがどう異なるのかがよくわかる写真。
 
 
 

その宿泊先内にバーがあって、そこの写真。
 
ここには2泊3日で、初日にここを利用してチップを結構弾んだ額を置いてったんですね。
 
翌日の店員の豹変具合から、チップというものの相場を理解しました。
 
 

そんときの記事はこちら。
 
 
https://www.45degree.net/blog/?p=176
こちらはS&Sに行ったときの記事
 
https://www.45degree.net/blog/?p=177
シンシナティに行ったときの記事
 
 


今のような作り込んだダイノルーム要るなとか、ここで経験させて頂きました。
 
 


最近の人は知らんかも知れんけど、ウェストコーストチョッパーズ製作の車両が鎮座してまして、感激したものです。フレームとか、色々ジロジロ見させて頂きました。
 
 

そんなこんな、教材と思って買ったFLTRで得たことも大きいが
 
 
セルフ追い込みも効き過ぎて、チューニングを通して様々な不具合も経験した。
 
最近チューニング始めたような人はまず経験しないだろう系のヤバいやつ。
 
心が壊れそうなトラブルを何度も経験してきた。
 
上手く行かないわ、排気ガスに酔ってしまうわ
 
本心で言えば、もうギブアップと言いたかったけども、しかしダイノルームも整備してバッチリにしてしまったからには後にも引き返せないし…. 分かりますかね。
 
もう見るのも嫌になる程、めちゃくちゃ病んでしまった。
 
前進せんといけんのは解ってるけど、足が動かない。
 
 

そんなとき、スーパーチューナーの再チューニング依頼を頂きました。あれは2009年モデルのウルトラだった。
 
これが大きな転機となり。
 
とんでも無いほど苦労し、ずいぶん遠回りして純正ECMの書き換えに辿り着いた。
 
お陰で説明書など要らずスイスイグイグイと、システムが素早く飲み込めた。
 
そこには、こうあれば良いのに…と切望してきたシステムが、純正では既に採用されていたのだから。
 
まあ、その遠回りで経験した心壊れそうなトラブルの数々のお陰で、インジェクション車にあるトラブルには滅法強くなったと思う。
 
どんだけトラブル経験したんやねんってね。笑
 
 

それから、以降は純正ECMの書き換え一本となったのです。
 
 

インジェクション車のチューニングを習得する目的が満たされると完全に尽きてしまい
 
 
仕舞いには事故もしてないのにフレームだけになって抹消登録し、その役割を終えました。
 
 
あの車両….それが無かったら今のようなチューニングにはそもそも辿り着けて無かった。誰かが教えてくれる訳じゃなかったし、ずーっと手探り状態で、一歩一歩進んでいったから。
 
 
モチベーションも今の領域には到達しなかったように感じる。あのFLTRは270万したけど、高い勉強代とも思わないし、感謝。
 
 
あのFLTRがなかったら、インジェクション車、チューニングしてなかったと断言できる。
  
 
 
 
https://www.45degree.net/order.htm
お問い合わせはこちらから。
 
 
posted by M.Yasuura
 
 
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